カウンセリング 2024-06-11
振り返り
やったこと
presentation
期待低→高→低
最初何もできないと思い、発音練習してもしかしたら意外と行けるかもとおもい、本番でほとんどまともに喋れずやはりだめだと感じた
皮肉にも、最初の低めの評価が客観的にもあっていたということだった
話したこと
色々あった
情報量がないtakker.icon
英語にとっかかれた経緯を話そうとして、記録と記憶をたよりに「あれ、この時間だっけ?……あ、いや、こっちが先で……あれ?」なんてことをしていたせいで、30分つかってしまった
それで土質の話が尻切れトンボに
部活に関わるのを一旦一切やめるというのはどうか
かれこれ1ヶ月以上は書いていない
Aは例えばネットサーフィンなど
この不快に(慣れる|我慢する)ことで何かが変わりそうな思いはある 「不快に(慣れる|我慢する)」ことは今までやってきたことがない デメリットになる例:
不便に慣れるとシステムを改善するコストを払わずにすむ 一方でシステムの改善点に盲目になる
他者に使いづらいシステムになる
不便で多大な時間を浪費していたとしても、それに気付けない
試してみるのも悪くない
強制する方法
「14:00~15:00は/takkerしか書き込まない」という制約もありかも Discordの通知も、10分以内に返さないと手続き上まずいとき以外は反応しない
メールも同様
新聞も読まない
コードも書かない
レポート課題にも着手しない
スケジュール
土質は本当に前期までなのか?
後期に被ってもいいようなことを仰っていた気もするが、それは避けたい
しかしだとすると、2週間で1本書くペースになる
そしてそれはtakker.iconの現状の状態だと確実に達成できない
何らかの環境と行動を変えなければならない
で、部活を辞めるとか「必ずこれだけしかしない時間」を作るとかどうかと提案された
このあたりのことを井戸端で相談してみるのも一手だろうか
今回もそれ
かといって基準を緩めるのは危険を伴う
だんだん例外が増えていき、ストレッチしなくても井戸端を開いてしまうようになるかもしれない 例外を作ると同時に、追加の制約を課すのはどうだろう
かならず画面共有する
多少個人情報が入るかもしれないが……通話しているメンバーを確認すればいいだろう
大体のメンバーは信頼している
11:50:12
現状維持、今の自分にできること以外を要求されていないから生きているだけ たとえばロッカーからキーボードを取り出すのはできる
階段を登り降りすることもできる
これは職業差別だが、おそらく清掃員として働けと言われたら、自殺するだろう そんな過酷な労働ができると思えないのが理由のつもり
本当は職業差別が幅を利かせているんだろうけど
自殺したいといっても、おそらくなにか別の方法を提示してほしいんだと思う
本当に自殺したいと思っているとは思えない
額面通りに受け取られて、「そうだね君には存在価値がない」「じゃあさっさと死ねば」と言われたら、かなり動揺する。 ひどい目眩で倒れるだろう 社会に貢献しない人はいないべきという優生思想を持っている人か、自分の知らない他者のことがどうでもいい人なら、このように言うかもしれない なお、自殺教唆罪になるかもしれないので、実際にこのような声をかけるのはやめたほうが無難 まずどんな人にも生きる価値があるという自分の考えに真っ向から刃向かっている
少なくともその矛盾は強く認識している
だからこそ、その矛盾を解消するなにかを求めている
そんな方法、あるわけないのにね
もっともそんな世界は成立してほしくない
もしそうなら、それこそ自殺してさよならするのがいいのかもしれないな
自分が努力や苦労やらと感じることをしてまで生きたいと思っていない
他者は努力や苦労と認識したとしても、自分がそうとは感じないことなら、死ななくてもやれる
例えば
山に登れと言われたら登れる
体調etc.の細かい条件は一旦無視する
自転車で20km走れと言われてもやれる
いつもやってるから
自転車で青森から鹿児島まで走れと言われてもやるだろう
もちろん途中で身体の限界がくるかもしれない
数学の問題を解けと言われたら?
解けるかどうかはともかく、やれそうだとは思うだろう
さすがに自殺を選ぶほどの恐怖にはまだ達してない
だが、とてもでないが「できそう」だなんて口が裂けても言えない
(2024-06-11)それこそ文を書くことは小学生のころから何度も経験しているはずなのに、この恐怖・忌避感は4年経っても変わっていない
自己評価と他者評価の一致はどうでもいいtakker.icon
新しいことへ挑戦する意欲がない、か。そうかもしれないな 挑戦を強制される環境に置かれたら、自殺するかもしれないな
なにか目標ややりたいことがあり、そのために日々必死に働いている人、行動している人がいることは知っている
/blu3mo-public/blu3mo.iconさんなどはそうだろう
起業家あたりの人々もそのような感じがする
スポーツ選手もそうだろう
ただ、人類一人ひとりがそのような情熱で意識的に生きているとは思えない
あまりにも大変すぎる
必死でエネルギーを加えて生きているのではなく、いつも通りのことをしてて生きていけているから生きている人が大半なのではないか
例えばまちカドまぞく3期が始まるまで生き延びてやると必死に生きれる人もいるだろう 自分はそうではない
確かにまちカドまぞく3期は絶対見たいし、フリーレンが魔王城にたどり着いて何を見るのかも知りたい。
知りたいが、そのために多大な努力が必要になるのだとしたら、あっさり諦めるだろう
つまり目標やら意思やら情熱やら夢やらを原動力としようとしても、ちょっとでも努力が必要なら、あっさりそれらを手放してしまう。枷がない。 すっかり手放してしまってるというか、触れないようにしている
これは上述した話とは別の理由で距離を置いている
箇条書きすると
おっと↑の2 hop先にもう書いてあったや
同じことの繰り返しだがせっかくだしもう一度書いてしまうと、要は
自分より積極的にcommitしていて、自分より具体的に精緻に深く考え、自分より行動を起こしてしている人たちがいて
自分より優れた人たちが自分より真剣に考えているのに
口だけで結局薄っぺらなことしか妄想できなかった自分が
やっぱ書くのやめた。泣きそうになってきたからtakker.icon 泣きそうになった。意外だ。
胸が焦がれるような感情が流れた
そう言えばこれも書いてなかったか
↑は多分もう一つくらい理由があって
非同期コミュニケーションの話題について、理論的に考察しようとしたページを井戸端に作ったことがあった
よく井戸端でも話されているし、各自の個人プロジェクトでも考察している人が多かったから、いろいろ反応がきて盛り上がるだろうと合意のない期待をしていた 実際にはほとんど反応がなかった。
一方でほぼ同時期にあったと思う、blu3moさんのコミュニケーションの話は盛り上がっていた。対照的に感じた
おそらく自分のはそもそも何をいいたいのかわからないような支離滅裂な内容だったか、既存の概念の焼き直しだとみなされたからだろう
結局あれは締切にまでに提出できなかったが、そういう精神的ダメージもあったと思う 責めるように書いてしまっているかもしれないが、責任転嫁したいわけではない。
そういう心情がおそらくあったことを記録したかっただけ
で、自分がデジタル民主主義まわりでなにかしようとしても、薄っぺらいことか何がいいたいのかわからない表現の乏しいことしか書けないだろうと思い込んでいる